母校沿革略(青女)
- 明治40年(1907)2月15日青森県立第三高等女学校として設置、青森市大字浦町字野脇11 -1(リンクステーションホール青森(青森市文化会館))に校舎新築、明治41年(1908)4月15日開校式を挙行。
- 明治42年(1909)4月1日青森県立青森高等女学校と改称した。明治44年(1911)青森県女子師範学校が併置されたが、昭和18年(1943)3月31日同校昇格により分離した。ちなみに大正13年(1938)4月1日の生徒定員は600名である。
- 昭和20年(1945)7月28日戦災により落葉松に囲まれた校舎も全焼、造道小学校校舎の一部を借用し、翌21年(1946)7月旧歩兵第五連隊兵舎跡に移転したが、9月5日隣接寮舎より出火のため類焼、再び分散して廃校になった国民学校校舎(現青森中央市民センター)山田高女(現青森銀行志功館前支店)において授業。
- 昭和23年(1948)4月1日学制改革により青森県立青森女子高等学校となる。昭和25年(1950)3月10日創立42周年記念式典を挙行。