母校沿革略(青中)
- 明治33年(1900)9月1日青森県第三中学校として、青森市大字大野字長島に設置許可され、明治34年(1901)年4月11日新町小学校校舎(現青い森公園)に開校、開校式を挙行。
- 明治34年(1901)6月1日青森県立第三中学校と改称した。
- 明治42年(1909)5月10日青森県立青森中学校と改称し、明治45年(1912) 6月1日青森市大字造道字浪打(現青森市営野球・庭球場)に白堊の校舎を新築移転、落成式挙行。生徒定員も逐年増加し、大正15年(1926)4月1日には1,000名となる。
- 昭和20年(1945)7月28日戦災により校舎全焼。青森市立第一中学校(現浪打中学校敷地)校舎の 一部と松森(現花園二丁目)にあった旧海軍施設部工員宿舎跡とに分散して、授業を継続。翌21年(1946)旧歩兵第五連隊兵舎跡(現在地)に全校移転。
- 昭和23年(1948)4月1日学制改革により青森県立青森高等学校となる。昭和25年(1950)2月26日創立50周年記念式典を挙行。